「クオ・ヴァディス ドミネ」 福島へ帰るということ

私は小学校時代図書委員になることが多かった。

 

図書委員のいいところは、一番早く学級図書を読めることと、自分で借りても返却を気にする事がないことだ。

 

あの頃、子供向けのいろいろな本や雑誌が配布されたと思うが、私はなんといっても「少年少女世界文学全集」が好きだった。
世界の子供たちの生活や歴史を知ることができて、まるで世界旅行をしているような気分になれたからだ。

 


「クオレ(愛の学校)」「母を訪ねて三千里」「十五少年漂流記」などのおなじみのものから、「飛ぶ教室」や「チャペック短編集」など大人の読み物としても名作にあたるものもあった。

 

その中で今でも忘れられないものがある「クオ・ヴァディス」だ。
それは、今までのものと全く違っていた。

 


それはローマ帝国時代の暴君ネロのキリスト教徒への弾圧とその殉教を描いたものだった。

 

皇帝ネロの弾圧のすさまじさ、それに耐える信仰の強さ、そして若者たちの純愛を貫く勇気、そのどれもが私にはまったく未知のものだった。

 

表題の「クオ・ヴァディス ドミネ」は、弾圧に耐えかねて信徒たちとローマから脱出しようとする指導者ペテロが、脱出の途中で偶然再会した主イエスに問いかけた言葉だ。

 


「クオ・ヴァディス ドミネ?」(主よ、どこへ行かれるのですか?)

 

これに対し、イエスはこう答えた。

「そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って、いま一度十字架にかかるであろう」と。

 

この言葉を聞いて、ペテロは光に打たれたようになって我に返り、ローマに引返し信者たちを安心させつつ敢然(かんぜん)とコロッセウムで殉教する(火あぶりになる)。

 

子供だった私に信仰の何たるかが分かるはずはなかったが、(最後には破滅することになった)皇帝ネロが民衆に広がるキリスト教を内心恐れていることは理解できた。そしてまた、指導者ペテロをローマへ引き返させたあの言葉もまた、小学生の私の脳裏に焼き付いたのだった。

 

「クオ・ヴァディス ドミネ」。そしてそれが、聖書に由来するラテン語であることを知るのはずっと後のことだった。

 



福島県に川内(かわうち)村という村がある。
第一原発近郊の村で、一部は警戒区域に含まれるが大部分は避難準備区域に含まれていた。

村というと小さな集落を想像しがちだが、三千人を超える住民がいてちゃんとした行政組織や施設があり、小さいながら学校や医療施設もある立派な地方公共団体と言ってよい。自然に恵まれ、天然記念物のモリアオガエルの生息地があることで有名だった。

 

その川内村が、避難準備区域の解除に伴って今年一月末「帰村宣言」を出した。
村長を先頭に村へ帰ると宣言したのだ。

 

この村長の決断に対して、主として東京のメディア(TVに出演してコメントする有名人)から異論が多く出された。「本当に大丈夫なのだろうか」、「健康に影響があったら誰が責任を取れるのだろうか」、「安全という基準値は信用できない」、等々。

 

しかし、この川内村の村長が、昨年行われた関係者によるチェルノブイリ視察旅行で、唯一参加した原発被災地の首長だったことは紹介されなかったし、チェルノブイリ事故で実際に除染や放射線防護にあたった専門家が福島を訪れ、様々な助言とともに帰村が十分可能な放射能レベルにあると発言していることは、全く紹介されなかった。

 

私はこの村長は、腹を決めたのだと思う。ペテロがローマへ帰ると決めたように。
たとえどんなに非難されようと、自分の村へ帰ると決めたのだと思う。

 

ペテロが、「クオ・ヴァディス ドミネ」(主よ、どこへ行かれるのですか?)、とイエスに問いかけて心を決めたように、この村長も心の中で同じ問いを誰かに問いかけ、そして心を決めたのだ。「私は村に帰る」と。

 

それは、彼の「川内村長より」という村のホームページで自ら紹介しているある中学生の手紙を見ればよく分かる。

 

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私たち福島県人は皆に問いかける。そして、自分自身でも答えなければならない。

 

「クオ・ヴァディス ドミネ?」(主よ、どこへ行かれるのですか?)