「玄侑宗久・丹羽太貫、放射線を語る」第3回(ラジオ福島)

 

(平成28年3月20日 19:00~20:00 ラジオ福島の放送より書き起こし)

 

皆さんご機嫌いかがでしょうか、深野賢司です。

玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)丹羽太貫(にわおおつら)放射線を語る」、三回目を迎えました。

この番組は、福島県民が心の奥底に抱えます、放射線の影響について、真剣に真正面から語る一時間の特別番組です。

 

それでは主役のお二人かたをご紹介いたします。

まずは、三春町福聚寺(ふくじゅうじ)住職芥川賞作家玄侑宗久さんです 

 

深野(「こんにちは」)、玄侑(「こんにちは」)

玄侑さんは去年の三月に、芸術選奨文部科学大臣賞を、「光の山」という作品で受賞されました。そして、管内閣時代、震災復興構想会議の委員を務められたわけなんですが、玄侑さんはこの五年間、まあ、実はおととし去年と徐々に徐々にやはり変化している部分があると思うのですが、今は放射線についてはどのようにお感じになってますでしょう。

 

玄侑

まー、あの具体的な線量で、考える事を、やめている人が多くて、(深野「ええ」)、あのー、あのだいたいあちこちに呼ばれますと、現状までの道のりっていうのを、最初起こったのが、シン・スライシング(「thin slicing」 筆者注釈)っていう、あの、心理学用語で説明しているんですが、(深野「ええ」)、シン・スライシングってのは、薄切り、ですよね。(深野「ああー」)。

あのー、要するに、その人なりに、その時の状況で、入る情報を集めて、出るのか出ないのか、残るのか、あのー、どうするかっていうことを、まあ一年かけて考えるっていうわけにいかなかったですから、まあ、せいぜい一週間くらいの間に、その重大な問題に結論出さなきゃいけなかったわけですよね。(深野「はい」) 

その在り方が、薄切りなわけですね。(深野「ええ」)

その薄切りであったわけですけども、そこで出した結論っていうものを、やがて、あの、別な心理学用語で、確認バイアスっていうんですが、あの時の判断は正しかったんだ、という形で、確認していこうとするその心理が誰にでも芽生えるわけですよ。

ですから、最初はほんとにタッチの差で、出るか出ないかというのが別れたわけですけども、どんどん自分の出した結論を確認しつつ補強していくんで、この両者の壁っていうのがどんどん厚くなると、(深野 感心したように、「ハアー」)、もう線量の問題ではなくて、あのー、自分が最初に出した結論をやっぱり変えるわけにいかないという、(深野「うーん」)そういう人生上の問題になっているような気がしますね。

 

深野

ということは、科学ではなくてもう心理学であると

玄侑

えー、はい、まあ、心理学も科学だっていう人々もいるでしょうけれどもねえ、はい。

深野

あはは、よりハートの部分が強くなったというふうに、玄侑さんはお感じだという事です。(玄侑「はい」)

もうひとかたご紹介いたします。

京都大学名誉教授、放射線生物学がご専門です。丹羽太貫(にわおおつら)さんです。

こんにちわ。(丹羽「こんにちは、よろしくお願いします」)

丹羽さんは、震災直後に福島市に移り住みまして、福島県立医科大学特命教授を去年まで担当されておりました。そして、今年は広島に移動されまして、放射線影響研究所にお勤めでらっしゃいますけれども、

まずあの、福島にずーっといて、そして今、環境がまた変わりましたけれども、また外から見た福島、違うんじゃないかと思うんですけれど、いかがですか。

 

丹羽

あのー、いまだにわたくし、福島をたっぷり引きずっておりまして、(深野「あはは」)、福島にいた間に非常に多くの方からたくさんのことを学びました。

まずそれに対してお礼を申し上げたいと思います。(深野「はい」)

それとあの、今の段階で、その、福島の状況をどう考えるかというご質問と思いますが、やはり自分の人生というのは、主役は自分であると、言うのが基本でございますので、あのー、その放射線がすべてのことを決定すると、大事なことまで決定するというふうなものであっては、本来それはあってはならないと、わたし理解してまして、ご自分の生活の主役は俺なんだと、放射線じゃねえんだ、というふうに、そのー、考え方をそろそろ切り替えていただく時期に来ているのではないかと、私自身は念じております。

 

深野

うーん。一般的には、いま福島で生活をされてる方は、その主役は自分というのを取り戻してきているかたが多いと思うんですけれども、残念ながら玄侑さんのおっしゃるように、両極に針が振れつつある中で、玄侑さんの作品「光の山」の中の一つ「あめんぼ」もそうなんですけれども、やっぱり大人が、その、放射線のリスクを語らなくなった、相手はどう思っているのかというのをもう聞けなくなった、だから、自分の考えがどうなのかっていうのを相談する人もいない、っていう状況になりつつあると思うんですけども、そこについては、もう玄侑さん、どんどんこう振れ幅が広くなっちゃってますよね。

 

玄侑

そうですねー。あのー、まあ最初、距離による分断が起こり、(深野「ええ」)、それから放射線量による分断が起こり、さらに、そのー、賠償の関係での分断が起こりという形で、どんどんこの分断が起こっているわけですけども、

あのー、まあ檀家さんの法事なんかに出かけても、あのー、そこにいない人っていうのがいるわけですね、(深野「はい」)、まあ「娘さんお元気ですか?」とかって、まあ、聞くと、急にこう場の雰囲気が変わると言いますか、(深野 ため息「はああーー」)、そのー、「元気なんだべー」みたいな、そのー、推定形の答えが来るわけですよ。(深野 うなずく「ええ」)、で、「え、どこにいんですか?」と言うと、「札幌らしい」、みたいな、ことでですね、

まあその、やっぱり人はそこにいない人とも一緒に暮らしているっていう側面がありますし、(深野「ええ」)、まあ、その、例えば孫がフランスに行っていようと、南米の遠いところで勉強していようとそれは構わないんですけども、連絡さえ取れてコミュニケーションが取れれば、どこにいても今だいじょぶだと思いますけども、そのー、連絡が取りあえない関係の人間関係が、そのー、非常に近しい関系の中にできているというのは、相当つらいですね。

 

深野

うーん、それって、あのー、丹羽さんのおっしゃる、その主役は自分なんだ、という事を取り戻そうというところで言うと、どちらかが、主役が自分、主役が人間になりきれてないところがあるから、そういうことが起きてるような気もするんですけども。

 

丹羽

はい。あのそれについては、あのー、これはいろんな方から、なんでこのように考えておるという事なんですが、結局放射線が何やったかという事ですよね。

それは、あのー、我々は、このー、普通の日常の中で、自分とかみさん、自分と子供、自分と親、それから自分の家、自分の周りの環境、そういうようなものすべて、まあ目に見えない糸がつながっているような状況で、その糸は引っ張れば来ると…、犬ならば口笛を吹けば寄ってくるとか、猫ならば撫でてやれば来るとか、そういう言うふうな中で自分自身が全体を把握して、でそれの中で安心しながらちゃんと生きているのが人間の日常、

でそこんところに突如ある日放射線がポッと入ってきて、で奥さんとは、必ず奥さんは、これだけ線量・放射線があるでしょう、だから自分は子供を連れて外に出るっと、でお父さんの方は、俺仕事があるからここに残らざるを得ないと、(深野 唸るように、「うーん」)、言うような状況になって、そうすると放射線というものでたちまち夫婦が別居するという形になる。あるいは、職場で放射線のことを話してても、話が合う人もおれば、全然それは俺はそんなことはそうとは思わないよと、放射線は大変怖いんだとか、いやたいしたことないとか、意見が全部違ってくるわけです、(深野 唸るように「うーん」)、目にも見えないという(話も)出ましたが、そういうような形で先ほどのキーワードに帰ると、分断が自分の関知しないところ、自分のコントロールできないところで、分断がどんどん進んでいくと、(深野「はい」)、というのが今の状況、これまで起こってきた状況、

でもそういうふうにバラバラになった人生、やっぱりもう一度集めて、自分自身が主導権をもって、それはそれぞれのメンバーが主導権を持っているのですが、お互い共有できるところはどこかというところを見定めて、それからバラバラになったものをだんだんに集めて、ここは俺はこういうふうに行きたいんだと言うところまで持ってこれたら、で、そういうふうなのが、そのー、今申し上げた主役になってほしいという事の背景にあります。

 

深野

うーん。その、分断と共有という事で言いますと、県外避難されている方で、私の印象でいうと、避難区域のかたですと、避難しなくちゃいけないという事で、放射線から逃れるということの理由で共有出来てるわけですよ、(丹羽「ハイハイ」)。

だからそこをある程度、おそらくこれから帰還していいよってなってから、もしかしたら新たに分断が生まれるのかもしれませんが、現状としては、放射線の影響云々を考える前に、まず避難しろという事で共有されてるんで、そこで持ってるわけですね。

(丹羽「はいそうですね」)。

だから今一番問題なのは来年三月、その自主避難のかたの住宅提供が打ち切られる、そういった流れの中で、自主的に避難されている方が、どういう思いでこれから帰還して来るのかしないのか、で、その時に、この放送で、何か背中を押してあげることが出来ないのか出来るのか、そこをちょっと考えたいんですこれども。

 

まずその題材として、福島で語られてることと、全国で語られていることの差が、なんかだんだん大きくなっているような気がしまして、これ、あの手元にBPOの報告という、まあ、放送倫理番組向上機構に寄せられた一般の意見なんですけれども。ちょっと読ませていただきます。

 

福島県内の放射線量に関する報道について疑問を持っている。報道では風評被害と言っているが、風評被害とは根拠のない噂のために受ける被害の事であって、今の福島の、肉、魚野菜などで基準値以上の数値が出ていると言われている、そのため風評被害という言葉はふさわしくない、地元の事を知らない人は、報道を信じて多量の放射線物質を含んだ食事を食品を口にしてしまうだろう。いずれにしても正しい情報を伝えてほしい。」

これが全国に配られている、一般の意見なんですけれども。

 

玄侑

 それで言っている、今っていうのは、いつなんでしょうかね。

 

深野

まあ、でもこれは、毎月送られてくるものですので、えー、2015年、今11月ですから、そんなに古くないです。(丹羽「古くはない、なるほど」)

 

玄侑

まあ、そういうふうに、その、食事についての放射線管理が行われているのかっていうのかの、具体的現実がご存じないっていう事だと思います。

 

深野

 でも、そういった方々が、今、安易にインターネットに情報を発信できますよね。だから、その、福島の事を理解されている方もそういう情報を目の当たりにするとまたそこの不安を感じる、で県外の人はなおさら、(丹羽「はいそうだと思います」)。

 これを少し解消していかないといけないのかなって思うんですが、丹羽さんどうでしょう。

 

丹羽

 あのーそれはおっしゃる通りなんですが、これはあの人の首に縄をつけ出てすね、(深野「ええ」)、引っ張ってくるわけには行けないと、(深野「はい」)、いう事があります。

 だから、これにはほんとに時間がかかるし、それに地道な取り組みというのがやはり必要で、そのような中ではやはり先ほど申し上げた分断されてると、いうところでなにが共有出来るのか、ええ、共有できる小さいエレメントをあの、吟味しながら、これ共有できるでしょっという形で、まずは、近隣県、それから首都圏それから、まあ、日本の中全体で、その、そのような共有がなされたらと思います、

実際あの、よく話に出されるのは、韓国でいまだに、その、日本の、その食品に関しては、非常に厳しい、その、禁止令があって、よその国は別にもう禁止しなくなっているが、韓国だけは、ブロック、ばちっとしている、そうですね、だからそういう状況も含めて、そうすると国際時にもまだ認められてない、で、残念なことに国内でも随分と、その分断としている部分が大きくなって、下手したら、大きくなっておると、言うふうな状況があるので、やはり、地道な情報共有、だからそこの、BPOで書かれていることで、ほんとにあの、福島県内で、ほんとにそんなにたくさん、その、基準を超えるような食品が実際あるのかと、(深野「ええ」)、実際の線量の様子はどうなのかというのを、あの、公の場に発信していくと、いう事しか残念ながら手がないと、(深野「うーん」)、思っております。

 

深野

まあそういう意味で言いますと玄侑さん。

もしも国が正しい情報を発信する源だとしたら、もっともっと国の関係者が福島にやってきてほしいんですけど、テーブルの上じゃなくて。

 

玄侑

 うーーん、そうですね、まあ、根底にあるのは、やっぱり科学と政治のかかわり方っていうんでしょうかね、(深野、ええ)、まあその、いま福島っていうのは、競馬馬があのー、周囲が見えないように眼隠してされていますよね。

(深野「ブリンカーって言いますね、」)ああ、そうですか、競馬中継が得意ですからね、ははは、そういう状態にされているって気がしてしょうがないんですね。(深野「ええ」)、つまり年間一ミリを超えるところは除染しますよっていう事なんですけれども、あの、まあ、わたしちょっと不安なので、この辺もやってほしいと言えばやってくれるわけですよ。たとえばうちの駐車場なんか、0.07マイクロシーベルトですよ、毎時(筆者注除染基準は毎時0.23マイクロシーベルト)。

それでも除染してほしいと言えばやってくれるっていうのが福島県なんですよ。これ科学じゃないですよね。心理ですね、まさに。

ですから安心できなければ安全じゃないという理屈を、この、国がまあ、作ってしまった。終始、安心安全という事を、この、連ねる形で。この国くらいじゃないかと思うんですけど、やっぱり、安心という心理的な側面と、その、支える側面としての安全というには、安全は科学の範疇でしょ。だからやっぱりそこのところがあの、まあ今回うまくいかなかったって言うか、2011年の5月ですか、小佐古さんが、迷った挙句に、国には5ミリと出しておきながら、記者会見では1ミリと叫んでしまったわけですね。で、あれが、どっちになったかで(筆者注 5ミリか1ミリか)、全然違ったことになったわけで。

で、それを受けた小宮山厚生労働大臣が、安心できなければ安全じゃないという理屈で、その、水を基準なんか、その世界最低の、あの、べクレル数ですよね。アメリカでは、あの、1000ベクレル未満は飲んでいいというわけですよ。日本は100ですもんね。アメリカ1200ですか。(「深野」飲み物 日本はいま10ですよ)、ああ10ですか。(深野「10です」)、で、ヨーロッパ、EU諸国は1000ですよね、(ええ)。異常な低さっていうのはもう完全に安心というだけの問題で、だから、安全と安心とを引っ付けちゃったと言うのは、まあ、政治の罪もあるんだと思うんですけれども、やっぱりここでもう一回、科学に復権してほしいんですよね、丹羽先生を前にしてあれなんですけれど、(三人 あははは)もう一回、これは大丈夫ですよっていう事を、こうはっきり言ってほしいというか、(「深野 うーーんーー、どうでしょうそこは」)。

 

丹羽

 あのー、そのあたりは、これあのー、安全とか安心とかいう話になるとですね、たちまち心理学の領域に入ってくるので、何とも言えませんが、一つはっきり言えることがあって、我々の日常生活してます地球上で、あるいは、時には飛行に乗りますという形で、あの世界中でどのぐらいの線量範囲で人間が、普通の生活をしておるかというふうな数値は、これ数値で出ております。(「深野」ええ)、それで、日本の場合は自然放射線のレベルが、まあ毎時ミリシーベルトパー年(2msv/y)、それプラスアルファのいろいろな、医療とかそれらを集めて、2.4という数字がこれは、世界の標準としてとりざたされております。(参照 筆者注「自然界から受ける放射線量」福島復興ステーションよりhttp://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/21-4.html)。で、ところが自然放射線だけで議論するとなれば、あの、その数値はだいたい1から10ぐらい、あのー、振れます。で、北欧諸国は、ラドンのレベルが高いので、それに引きずられて10ぐらいというのが、これ日常の話でございます。我々は、たまたまラドンが少ない地域にありますので、ガンマだけで、1という事で、それであのー、北欧の人は、ぼこぼことがんで死ぬというような状況ではないと、そういう中で、我々人類は住んできたという事だけは、ご理解いただきたいし、それで、そのような、あのー、データについて様々な方が検証しておられるし、というのは、これサイエンスの領域であります。(深野「うーん」)

 あのー、最終的にその安心までいく、行き着くのは、科学から安心まで行き着くには、非常に遠いのですが、一つこれはもう、あのー、道筋としては、やはりそのような科学を自分でどういうふうに納得するかと、言うプロセスを一つは必要になってくる。それは、科学は専門家が、皆さんにこうだ、というふうなことを言うものじゃなくって、えーっと、一般の人自身が非常に単純なやり方で科学をすることができます。あのー、そこら辺まで科学をひろーく、あの、一般の方が、認識していただければ、たぶん今私が申し上げたことに対して、より、あのー、きめ細かな納得をいただけることになるんではないかと思っておるんですが。

 

玄侑

 あの、先生にちょっとお聞きしたいんですけれども。

 私らが、その一般人が、外から見てみますと、まあ、放射線の影響や生物学的な、その、学問の専門家ではない科学者たちの間で、その、放射線についての様々な意見が言われてずっといる気がするんですね。(しかし)統一見解っていうふうな太いものが、こう、我々の耳に届いてこないんですこれども、そういった意見の中で、よく耳にするのは、自然放射線量と、そのー、原発から人工的に出たものとは違うんだっていうような理屈を聴くんですが、まあ、わたしらは、アルファー線と、ベータ線、ガンマー線との違いはあったとしても、自然と人工との違いはないかと思うんですが、その辺はどうなんでしょう。

 

丹羽

あのー、その辺は、前からデータもありますし、実際そのような理屈でいいという事になっておることもありまして、放射線がどういうふうに人間の、細胞とか組織を傷つけるかという基本を考えたら、非常に単純な理屈になります。

それは、どの放射線も、電離という現象、すなわち、放射線の最終的にこれは、われわれのガンマー線というのは光みたいなようなもので、入って砕けては全くなんにもおこらない、で、途中途中で電子をはじき出すんですね、そのはじき出した電子が、二ミリぐらいの距離を体の中を走って、最後に止まります、でその二ミリ走った中でまたぶつかったりして、ほかの電子をたたき出す、で、最終的に放射線がなぜ悪い働きをしているのかというと、その分子がちゃんとできてるところに電子をはじき出すようなことが起こると、その分子は壊れると、その壊れて一番困る分子は、我々の一つの細胞に二つのコピーからしかない遺伝子、お父さんからワンコピーもらって、お母さんからワンコピーもらって、二つしかないこのような遺伝子のDNA情報が壊れると、これは困ると、いう事になって、タンパクはごまんとありますからいくら壊れたってどうってことはない、そういうようなプロセスを考えたって、これは、自然放射線であろうが、あるいは病院のX線であろうがCTであろうが、原発の線量であろうが、これは初期過程は全部同じです、(玄侑「そうですね」)、

はい、だからその中でセシウムのガンマーに関して言えば、これは病院でもセシウムを線源に使って治療に使っております、で、ガンマー線である以上は、これはガンマー線が持っているその性質としてこうだよっていう事が、外部線量であろうが、内部被曝であろうが同じであるという事は言える。で、同じようにアルファの場合はどうなんだとか、ガンマーの場合はどうなんだ、特にヨウドの場合はどうなんだと、これはすごくいい例で、ヨウドの場合はたまたま甲状腺のところに集積するのでそこの線量がやたらと高くなる、という事があって、小児の甲状腺がんにつながるというリスクはあります。だから、あとは、線量がどこにあたっているか、だから、ヨウドで、ここがやられるっちゅうことと、ここんところに放射線を当てるっちゅうことは、その、影響としては全く等価、その、等しい値です。

 

玄侑

 あの、先日丸川環境大臣がですね、まあ、あの、年間一ミリという数字に、その科学的根拠はないと、みんなでわあわあ言いながら決めたんだっと、まあ、非常に説明が不十分で、あの状況の中での発言として不適切だったとは思うんですけれども、わたしには、やっぱり一ミリに科学的根拠はないと言うのは事実だと思うんですね。そのへん、なんというんですかね、うやむやなまま、あの発言への、まあ、あの、一種の事件が終わってしまったというのが、さびしいと言うか、蒸し返したいんですけれども。(深野「ハハハ」)一ミリの科学的根拠っていうのはいかがなもんなんでしょうか。

 

丹羽

 えーと、これはあの、これまた長い歴史を端折ってしゃべらせていただきますけれども、一ミリの、ICRPが一ミリという数字を、平常時の線量限度として、一ミリを使いましょうと言ったことに二つの意味があります。

 

玄侑

 あのー、平常時は一ミリから二十ミリの間じゃないですか。

 

丹羽

 いえ、それはあの、現存被曝状況と言って、いま福島が置かれているような状況です。で、一ミリでなきゃならんというのは、これは、全然原発事故もないし、今度はわたしのところに新しい病院を建てるんだよ、そこに放射線の線源を置くんだよと、そういう時には漏えいする線量としては一ミリ以上になっては困りますと、そういうふうな平常時で、計画して、被ばく状況をコントロールできる時の限度として決まられているんです。(玄侑「はい」)

で、これの決めた理由は二つほどあります、一つはですね、ほんとにその累積性が成立すると言うふうに、過剰なリスクであるかもしれないけど、より慎重に平常時はより慎重にしなければならないから、より慎重に過剰のその、推定をやって、で、一ミリのリスクがこれこれしかじか、というふうな形で出てきます、生涯七十年とかなんとか掛け算して、で、それから計算された数値で、まあ、これぐらいならいいかねっていうところで決めた部分と、もう一つは、これが非常に大事なんですけど、一ミリのところが、特に人工的な放射線が一ミリ出ているところがあると、(玄侑「ええ」)それはICRPに言わしたら、まあ、それぐらいなら堪忍してよという事ですけど、隣に十ミリのところがあるとしたら、そうすると、それがその、この福島の状況みたいなところで、まあ福島あれ汚れてるんだよと、差別されちゃうじゃないのっと、(玄侑「はい」)、でそうすると、一ミリちゅうのはどうも世界のスタンダードのその背景になる放射線とよう似た数値であるから、これを一応生活の質の、あの指標として使おうよと、これがとんでもなく高くなったら、みんな人は嫌がるでしょうと、しかもそれが人工的な放射線が持ち込まれて、線量がバンっと上がったら、人々はやっぱり違和感を覚えると、これは困ると、差別につながるから、そういうような社会的な価値を考えての判断、その両方で、平常時には計画的被ばく状況と言いますが、計画できる時には低くした方がいいよねっと、低くできるから、その、今の状況は、事故の後の復興期なので、あの、そこん所では、一から二十のスパンでやりましょうと、一から二十でも、まあ、先ほど申し上げた、世間の常識からいえば、一から二十の間の下のほうのレンジで一から二十ですよね、ぐらいのレンジでなるべく線量を下げる努力をしましょうよっと、で、最終的には一までいく、すなわち世界でみんな似たようなもんだよねっと思えるようになるまで移行していけばいいよっと言うのが、ICRPがいわゆる実行期にセットアップした線量の、これはいわゆる幅です、参考値と言いますが、参考値であるから線量限度ではありません。

 

玄侑

 確かにあの一ミリっていうのは、こう、決められた当時は、小学校の校庭の除染が話題になっていて、でそれをどの程度にするかっていう話でしたから、その数字になったっていうのもなるほどなっと思うんですけども、その後冷静に各地の線量なんかを見てみますと、まあ、県の平均的な、線量で言いますと、1ミリ超えてる県が全国に11県くらいあるんですね。(丹羽「はあ、自然放射線だけで」、玄侑「はいはい」三人「ハハハ」)。そうすると、なんか福島県は、相当贅沢な除染をしていただいでるなっていう気がしちゃうわけですけれども。

 

丹羽

 ああ、あのそのときにちょっとトリックがあって、追加線量というやつ、いわゆる自然放射線、ここら辺(福島市)の自然放射線は年間0.6ミリぐらいで、外部ガンマーで計算していると思います。で、そこのところで出てくる1っていうのは、私は今広島で暮らしてますけど、これは、外部の自然放射線が1だからこの線量計は1という数値を出してくるわけですね、だから、福島の場合は、実はもともとは0.6だったんだけど、セシウムがあったために1になっていますと言う状況。で、そこんとこで厳密な議論をすると、そのまあ、0.4じゃないのという話になるんですが、そこいら編は、相場観としては、まあどちらも足し算した数値が1だし、こっちも1だから、まあ似たような状況になってきたかねっていう状況は、やはり国内の様々な都道府県の方々に理解していただきたいなって思っています。

 

深野

 あの、今お話を伺っていて、ちょっと面倒な話になってきたぞというふうにお考えの方もいらっしゃると思うんですね。で、ちょっと話を戻しますと、でもサイエンスは、万人のためにあるもので、科学者のためではないという、(丹羽「はい」)ということは、やっぱりあの、今回の放射線のこの影響を、ちょっとわたしかじってみたいなっていう方が増えてくることも重要だと思うんですね。そういう意味で言いますと、福島高校のスーパーサイエンス部が、全国の線量を測ったりして取り組みをたくさんしておりますけれども、その福島高校のメンバーをサポートしてるのが、東京大学大学院の早野龍五教授ですね。その早野先生のインタビューをお聞きいただきましょう。

 

(場面が変わり、学校の教室の休み時間と思われる、生徒達のざわめきが背後に聞こえる)

 

女性アナウンサー

 まず、現在の福島県の皆さんが置かれています、外部被曝内部被ばくの状況はいかがですか。

 

早野

 はい、えーと、内部被曝についてはもう、2012年ぐらいから低いと言うことが分かっていて、その低さがどんどん低くなり続けているという事が分かっています。

で、このことについては県内にお住まいの方の多くはご存じだと思いますが、あの、県外ではまだ、そのことに関してあまりよく知られていなかったり、外国では全く知られていないという状況にあります。でも、県内で普通に、あの、暮らしていくうえで内部被曝というのは今や心配するようなリスクでないという事、これは、断言できますし、多くの方に知っていただきたい。

もちろん、これは多くの農業をやっておられる方、それからそのご指導された先生や行政の方々、そういう方々の力がとても大きいという事も付け加えたえたいと思います。

 あの、この間、高校生との論文も書きましたけれども、県内で今避難地域でないところ、普通に皆さんが暮らしているところでの外部被曝というのは決して高いものではないという事が分かってきました。もちろん農業の方とかですね、林業の方とか、平均よりは高い被曝の方がおられることも存じておりますけれども、平均的には決して高くないという事、これも知っていただきたいと思いますし、特に県外の方々には特にそういうことは知っていただきたいと思います。

えー県外に情報発信という事についてはやはり、中央のメディアについてももう少し福島の状況、何か悪いニュースだけがニュースとして伝わるのではなくて、日常的なこの福島の状況、それにつても折に触れて、あの、伝わる、そういうことがあるといいなと思いますし、外国に関してはですね、我々英語で一生懸命論文を書いたり、それから外国のメディアのインタビューに答えるようにしてますけれども、やはりもう少し英語による情報発信、それを、まあ我々もそれから福島県も努力しておられると思いますけども、もっと続けていく、で、日本に来られる外国人にもですね、もっと福島県に来ていただけるようにと、そういう事に、つながるような情報発信が必要だと思います。

 

女性アナウンサー

 相談員という仕組みも今ありますが。

 

早野

 はい、あの相談員は、あのー、まあ新たに始まった制度で、いくつかの地域で本当に地元に根付いて、地元の方々と放射線を測ったりですね、それからその他様々な生活上の問題、それについて一緒に語り一緒に考え、一緒に測りという事で、本当に貴重な制度だと思います。

えー、これから帰還をされるような地域でももちろん相談員というのというのはこれから配置をされていくわけですけれども、そういうところでは、この五年間その地元におられなかった方々が住民と一緒に戻って相談員になると、そういう方々はこれからご苦労が多いのではないかなあと、そこで暮らしていなかったところにいきなり戻って相談員として質問を受けたりすると言うという事は、これはなかなか大変なご苦労があるのではないかなあと思います。専門家という方々はそういう相談員という方々にもちゃんとバックアップできる体制を作って望むことが大事だと思っています。

 

(スタジオに場面が戻る)

深野

 今相談員の話も出てきました、まさに放射線の知識を一つ一つ自分の中で醸成していこうという中で、誰かに話を聞いて答えをいただいて、そこで自分のものにしていくっていう、それがもしかしたら科学のサイエンスの入り口にあたるのではないかと思いますけれども、やっぱりこの語らないとダメなんですかね、丹羽さん。

 

丹羽

 そうですね、あのーサイエンスっというのはもともと共有するものでありまして、(深(野「ええ」)、やはりそのーサイエンスの情報っていうのは、これは万人が自分で検証しまた共有できるものとして非常にいいんじゃないかと思いますが。

 

深野

 でも玄侑さん、アメンボの作品の中にも出てきましたけれども、共有できる状況ならいいですけれども、もう共有できないところまで行ってしまった方々はもうそれで凝り固まってしまうというか、こう、受け付けなくなってしまうんですかね。ある一定のところまで行っちゃうと。

 

玄侑

 まあ、例えば、ですから自分が出る判断をした。で、残る判断をした人がいて、その線量、同じ線量ですからね。同じ線量を危険だと今も思い続けてる人と、大丈夫ですよと、一軒のなかにいるひとたちの会話というのは成り立たせるというのは非常に難しいと思いますね。

 

深野

 うーんー。そういう意味で言うと、相談員が県外にもいて、そのー県外の相談員と県内の相談員と、もしかしたら相談員の役割もちょっと違うのかなという、まったく同じではまずいのかなという気もするぐらい考え方が変わってきているんですが、じゃあ、県内の相談員はいまどんな活動をされてるんでしょうか。広野町放射線相談員、木幡千恵美さんの声をお聞きいただきましょう。

 

(場面が変わり、録音で)

 

深野

 相談会ではみなさんにどんなことをお伝えしているんでしょう。

 

木幡相談員

 一応あの、今の広野町モニタリングポストの空間線量の数値であったり、あとは、食材に関しては出荷制限がかかっている物を具体的なものの話だったり、あとその月一回で放射線便りっていうのを発行していますので、それに関する解説だったりをしてます。

深野

 相談内容の傾向っていうのは以前と比べて変化はありますか。

 

木幡相談員

 震災直後はやっぱその放射線だったり、健康の不安だったりという相談も何件かあったんですけど、最近はもうほとんど食材だったり水だったり、その内部被曝についての相談のほうがが多くなっています。

 

深野

 それについて町ではどういうふうに答えているんでしょうか。

 

木幡相談員

 セシウムのその性質の説明だったり、あとはその、きちっとした放射能の検査をして、届けて検査をしたり、あとは、28年度は小山浄水場のほうの見学会なんかを計画してます。

 

深野

まあ 震災から五年ですけれども、最近になって増えてきている相談ってありますか。

 

木幡相談員

 そうですね、あの、時期的な食べ物で、山菜だったりきのこだったり、そういったものをまだ広野町も出荷制限だったり摂取制限がかかっている食べ物なんですけど、そういったものを食べていいですかっていう質問をよくされます。

 

深野

 除染についての相談についてもあるそうですね。

 

木幡相談員

最近は少なくなってきましたけど、当時は結構ありました。

 

深野

どんな相談がありますか。

 

木幡相談員

そうですね、あの、一回一度除染したんだけど、線量が0.23msv/hよりも下がってないからもう一回やってほしいとか、そういう相談が多いですね。

 

深野

 その質問に対してはどうお答えしてどう対応したんですか。

 

木幡相談員

 再除染に関してはまだ国の方針が決まらないので、国のほうが決まらないと町のほうもやることができない、動けないっという説明をして納得してくれる方もいるし、納得されない方もいましたけど、それで終わっちゃうケースも多かったですね。

 

深野

 ご自身のお話なんですけれども、この広野町にはいつごろ戻ってこられたんでしたっけ。

木幡相談員

 

 13年の4月です、戻ってきたのは、はい。

 

深野

どういうきっかけで、この広野に戻ってこようと思ったんですか。

 

木幡相談員

はい、あのー、子供のまあ生活環境と言いますか、アパート暮らしだったので、そのアパート暮らしの時に子供たちがどうしてもその周りの近所に迷惑がかからないように、静かに静かにっていう生活をさせていたので、だんだんストレスがかかってきたのが分かってきたので、子供の生活からはアパート暮らしが長くなるとよくないのかなーって思って、戻ってきました。

 

深野

その時放射線に対する不安はありました。

 

木幡相談員

いいえ、除染も終わってましたし、文教施設とかの除染も終わってたので、放射線量関してはさほど心配は、あんまりしていなかったですね。これから帰還する人たちに向けても、正しい情報を発信していかなきゃいけないし、もちろん帰還して町内に住んでいる人たちにも、もっとより良い情報正しい情報っていうのを伝えていく必要はあると思います。

 

(スタジオに場面が戻る)

 

深野

今のお話の中で二つポイントがあると思います。一つはまだ0.23とう数字を頼りにしなくちゃいけない現実があるという点が一点、あともう一点は、子供のストレスを感じて帰還することにしたっていう、つまりハートの問題、つまり、丹羽さんがおっしゃるその、自分自身が主役、子供が主役っていうところで、子供がストレスを抱えるくらいだったらストレスのないところに連れて行ってあげよう。放射線以上のものが見つかったっていう見方も出来ますけども。この二点についてです。で、玄侑さん0.23はもうしょうがないですかね。

 

玄侑

 いやーあのーさっき、馬の目隠しの話をしましたけれども、わたしあの、ICRPの基本方針として、健康影響に関係のない範囲の中での高い低いを知らしめるべきではないという方針があるという事を以前伺った覚えがあるんですけれども、この際ですね、目隠しを取らせてもらいたいと、ですから全国の線量が分かればですね、なんで0.23にこだわってたんだろうっていう話になるはずですよね。

 

深野

 うーん、それでひとつわたし不安なのは、そのー、悪貨が良貨を駆逐するじゃないですけれども、要するにまわりもこんな高いんだよっていったときに、じゃあ大丈夫だと思うんじゃなくで、じゃあ全国除染しようという動きにならないか、わたしちょっと不安なんですがどうでしょうね。(玄侑 「うーーん」)1ミリにしたんでしょ、だったら1ミリを超えている他の都道府県を除染しましょうよっていう機運になっちゃうんじゃないかっていう気もするんですけど。

 

玄侑

 タダですね、あのー、同じ予算をどう使うかっていうこれは問題でもありますから、そのー、除染に計上されている膨大な予算っていうのは、いま除染にしか使えないわけですよね。(深野「ええそうですね」)でも、そのせいとは言いませんが、オリンピックの年にもプレハブの仮設住宅があるだろうと、それは間違いがいないこととしていま言われているわけですよ。仮設でオリンピックのテレビを見る人がいるわけですよね。(深野「はい」)そこが除染の費用を用いて何とかならないのかっていうふうに思っちゃうんですけれどもねえ。

 

深野

 まさに丹羽さんのおっしゃる、主役はなんなんだってところになると思うんですけれどもね。かたや放射線を逃れるため、放射線量を少なくするために(強調するように)ほーんとうにお金をたくさんかけて除染をする、かたや仮設住宅も含めて復興のための予算というのが限られているという事で、進まないところは進まない。これどーすればいいんでしょうねえー。

 

丹羽

 まず、あの事実関係で、今の議論の論点のちょっと問題を整理したいんですけど。(深野「はい」)例えば、あの、全国で測ってみて、個人線量計で測ってですよ、そこで福島で1というのが出ました、広島でも1というのが出ました、で、先ほど申し上げたように広島の場合は、そのもろの自然放射線だけの1なんですね。これ除染のしようがない。掘ったら掘っただけまた地面がむき出しになりますから、おんなじだけ浴びるわけですね。(深野「はい」)。

ここんところは、0.6ぐらいのバックグラウンドの、これどうしようもないバックグラウンドがあってあと0.4ぐらいの足し算がある。これは、除染しようと思ったらできる。だから、あの、全国一律に1ミリにしちゃうと言うのはたぶんこれ議論にならないと思うのがまず第一点。それから、まあ、そういうふうなことであの、実際その除染で大変なお金が使われると、でしかも土が右から左に移るだけと、これ非常に見てて切ない思いは致します。それで、あのー、なんといっても今この国がどんどんと財政の引き締めをしているときに、これだけのお金が、そのー出てきたというのは驚きではありますし、それがしかも除染に相当部分が費やされたというのも非常に残念な思いがいたします。

だから、あの、その時に我々が考えなければならないのは、こういう、例えば事故が、また起こった時に、我々はどうするんだろうと、実際この問題は国は全然やってないんです実は。だから、あの、えーっと事故のすぐあと事故調査委員会で五つほど報告書が出来ました、独立したやつ。で今やらなければならないのは今の状況を我々どう判断し、これを同じような混乱が起こらないためにどうしたらいいのかと、ここんところは今後の問題とは思いますが、国としては、あるいは我々自身も一生懸命考えていただいて、あの、これまで五年間に起こったことをデータを集め、それを体系にまとめ上げ、それから教訓を引き出すという作業がいま必要になってきておる。それはちょっと今日の話とは本論とはかけ離れますが、非常に大事なことではないかと思っております。

 

深野

 さて時間も残すところあとわずかになってきましたので、これから先なんですけれども、玄侑さんはこれから6年目、7年目、8年目どういうことがあらたに出てくるのか、どういうことをこう心配してますか。

 

玄侑

 まあ、あの今の除染をめぐるお金の問題を申し上げましたけども、あのー、実際そのお金の事だけじゃなくてですね、除染して仮置き場に運んだ後に、それがどうなるのかと、つまり、中間貯蔵施設という、その、大熊と双葉に予定されている土地がですね、昨年の12月末くらいでハンコを押した方が、地権者の中で23人位だったんですね。1月の末には44人まで増えたんですけれど、地権者って全部で2400人近くいるわけですよ。そのうち半数くらいはもうすでに亡くなっていて、子孫のハンコをもらわなければならないんで、もっと増えているわけですね。で、これは普通に考えたら、あの墓地の移転と一緒で不可能なんですね。(深野「はい」)。

ですけども今国は、44人分の合意を得た土地に、まずなんか建ててしまおうと進め方を考えているようですけども、このまあ、いつから30年後かは分からないですけれども、中間貯蔵施設に30年間保管するというような話がですね、いまだ現実化しないっていうのが福島県民の実感じゃないかと思うんですね。果たして本当にできるんだろうかと。これはやっぱり、今後同じようなことが起こった時に大問題になることですから、(深野「ええ」)あのー重大に受け止めるべきだと思いますね。

 

深野

 その根っこにあるのが、放射線の影響放射線に対する不安、そこから生まれてきているものなんですけれども、丹羽さんはそれ以外にあと何かこう、今一番心に思っている心配なことってどんなことでしょう。

 

丹羽

 様々なことがあるんですけれど、やはりあの、今後国なりなんなりが、政策的なことをこういう状況でやるときに、これ放射線事故に限らないんですが、どのような大規模災害であっても多かれ少なかれ共有している問題として、そのー、我が国ではとくに住民から情報を吸い上げて行政に反映させるという事が非常にへたくそです。

この五年間の混乱の非常に多くは、行政は霞が関で一生懸命に考えられて、ベストの解を政策として福島のほうに落とし込むという事をしてきました。それはそれですごく頑張ったことで、敬意を表したいと思います。ただ、その時にそのような行政の落とし込む政策が必ずしも、その、地域にいた時になかなかそれが機能しないと、という事をたくさん経験しました。

一番大きな問題ちゅうのが、これは、個としての住民、個人、その要求することとジェネリック(generic)なルールとして行政が落とし込もうとする一般則と各論のせめぎ合いというふうな問題だと思います。

で、個としての要求ちゅうのはあまりにも多様でありますので、コミュニティーとしての要求ぐらいまでまとめあげるまでは出来るでしょうと、で、行政のほうも、そのー、パラシューテッズ(parachuteds?派遣した者の意?)をかんとう(巻頭?)とするんじゃなくて、やはりそこいらへんのコミュニティーレベルまでまとまったようなものに対応して、何かをやるということができるだけの自由度のあるシステムで物事を動かす、というふうに考えていただければ、こういうような事故があってもある程度の対応が可能になる。でないと、このような問題ていうのは、災害の時に一番困るのはそこの人々です、個人個人です。で一番それを一所懸命頑張ろうとするのがその地域の行政なんですが、そこのギャップが、今回なかなか埋まらないままずっと推移したのが残念なことだと思っております。

今後は、その相談員制度も始まりましたし、それを摺合せをしようという機運は国も持っておるし、住民のほうにも見えだしたと、だからできる限りコミュニティー力を、それこそ住民は発揮していただきたいし、行政の場合は柔軟なシステムを考えていただきたいと、それが今後の様々な問題、また廃炉とか帰還困難地域の問題、中間貯蔵の問題、そうようなものに解を出す時に、考えなければならない問題と思っております。

 

玄侑

 あのー、今コミュニティーという言葉が出たんですけれども、復興構想会議というのがなくなってですね、被災地についてのグランドデザインを描くところがなくなったわけですよ、

その結果、まあ従来の帰還困難区域であっても避難解除準備区域であっても、その従来の市町村のまんま、今、その細っていくのをこう眺めてるという感じだと思うんですね。やっぱり各地域で今後を考えた時に、学校がないっていう状況があって、その子供を連れた親たちが戻ってこれないっていうのは明らかなわけですね。だから、その、もう少しいくつかの町を合わせた単位でのグランドデザインというのを描きなおさないと(深野・丹羽「うーん」「そうですねー」)、自然消滅してしまいますよね。

(丹羽うなずくように「おっしゃるとおりです、全くおっしゃるとおりです」)、それを話し合う、あの、機関ていうのが各省庁では難しんですね。そこをどうするかっていうのがありますねぇ(丹羽 小さく「うーん、そっかー」)。

復興庁ってのはどうなんでしょうか。(丹羽「どこですかねー、それはねー」)(三人で小さく「ハハハ―」)

 

深野

 多くなればなるほど、その活動力は増してくると思うんですよね。だから個を出来るだけ、同じ考え方、同じ人たちが集団になることになることによって、それが一つ大きな意思表示につながってくるんで、今、あまりにももう、てんでばらばらすぎて、どう収斂させていっていいか、国もちょっとわからなくなってるところがあると思うんで。

 

玄侑

 各市町村の事情がほんとに違ってきちゃってますからねー。これが合流することが出来たらすごいと思うんですけどねー。

 

深野

 (うなずくように)はあ、そうですねー、そこは大きいですねー。

 

丹羽

 そこなんですよほんとうに、その各論の問題と総論のせめぎあいが常に存在するもんですけれど、それが、どんどんどんどんと、そのうまくいかない状況を作り出しておるというのは、これは本当にあの何とかしたいと思っておるんですが。

 

深野

 だから県外に避難されている方も、特に自主避難の方が、じゃあ今の福島県自分の住んでいるところがどういう状況なのかって、例えば学ぼうとしたときに、例えば南相馬ひとつとっても、まず区がいっぱいある、そこに線量によって避難地域もある、いろいろな地域があるわけじゃないですか、で、その場所とどれくらい近いのかって、またそこで微妙に線量が違うじゃないですか、だから本当に、そのここにいてもジャッジするのが難しいって思う中で、じゃあはたして県外にいる方が、福島をきちっと見つめられるかどうかってホントに難しいなと思うんですけれどね。(丹羽「そうですねー」)

 

玄侑

 いや、ほんとうに丹羽先生のようなしばらくこちらにいらっしゃった科学者がですね、再び声を大きくして、この、なんか交流を促すような発言をお願いしたいですね。(深野「はあー」)

 

深野

 そしてやっぱり科学的に、その放射線に向き合うためにはやっぱり測ることが大事なんでしょうかね。

 

丹羽

 絶対そうです。もう、ご自分でしかも測ること、他人に測ってもらうんじゃなくて、ご自分で線量計をちゃんと地域が共有した線量計でご自分で測って、そのデータはちゃんと専門家と一緒にご自分で議論して納得するいうプロセスが、これは必須でございます。

 

深野

 それがこう、うまくいった例っていうのが福島県内であるんですか。

 

丹羽

 あのー、これは私の知っている例で、ほんとにうまくいた例が、末続(すえつぎ)でございます。

(深野「いわき市久ノ浜?」)

さようでございます。

(筆者注、「末続」はいわき市の海沿いの最北部にある地区で、第1第2両原発のある双葉郡に接するという地理的条件から、いわき市における原発事故の放射線による影響を最も受けた地区のひとつ。甚大な津波被害を受けた久ノ浜地区と同様に津波被害も受けた)。

 あのー、これは短く手短に話しますと、私の知っている限りでは、まず、そこの末続の農家の遠藤遠藤真也さん(筆者注 末続地区ふるさとを守る会)という方が、ご自分で事故の後から、土壌の線量と空間線量をすべての田んぼについて測り始めたと、で、それができたあとの段階で、安東量子(あんどうりょうこ)さん(筆者注 「福島のエートス」(原発事故後の放射線のもたらした影響を、住民の立場から受け止め、対処しようとしている自発的組織)の主宰者)という方が、線量の意味についての勉強会を始められたと、でそれで食品の線量からホールボディカウンターから外部線量から、全部それを住民が測るという中で、住民がここで納得を自分で獲得するというプロセスが動いております。これは非常に驚くべき活動だと、わたしは、あのー、感心して拝見しております。

 

深野

 そういううまく行った事例があるという事は、玄侑さん、まだまだ福島県がこう、一つにまとまるチャンス、放射線についての理解がまとまるチャンスっていうのはまだまだあるという事ですよね。

 

玄侑

 あると思いますね。

 

深野

 最後に丹羽さんに伺いますけれども、あの、冒頭、放射線が主役の状態から脱却する、自分が主役になるというお話をされましたが、その放射線とこれから先、福島県民はどう向き合っていったらいいんでしょうか。

 

丹羽

 あのー、それはこの話の途中でも何度か出てきましたけれど、あのー、いまだに自分の人生、生活の中で、放射線に主役を奪われておられるという方がおられるとすれば、その方は、放射線に対して科学の道具をもって、道具として使って対峙すると、向き合うという事しか手がないんではないかと思っております。それで、対峙するという事はどういう事かというたら、相手の実態をちゃんと明らかにすると、すなわち、線量、放射線は線量というものは測定できますので、線量の測定をきっちりやると、ただ、測定してデータを見るだけではなんのことかは分かんないです、普通の方は、だからその次にようやく専門家の出番があって、その専門家がこの線量の意味はこう言うことなんだと、きっちり議論し説明し、しかもそれが納得いくものかを、またその専門家と対峙しておられる方が議論して納得を取り付けると、そういうことによって、その主役を放射線から自分に取り戻すことに取り戻すことができるんではないか、で、わたしの知っている方でこのような、その専門家で、その線量の説明を、事故の後からずいぶん長期に長きにわたって続けておられて、早野先生の信頼も非常に高い宮崎信(まこと)先生という方が福島医大におられます。でこれは、D-Shuttle(筆者注「個人線量計」、一日の積算線量と総積算線量を自分の目で確かめられる)の線量測定であったり、ホールボディカウンターの線量測定であったり、様々な線量測定の中から、彼が事例をたくさん集めてご存じなので、このような方が、例えば相談員のコンサルタントになって、その相談員に対してちゃんと知識をお渡しすると、言うような形で、どんどんと宮崎先生のコピーみたいな相談員がたくさん増えてきたら、非常に素晴らしいと思っております。でしかもその取り戻す過程で、出てきた線量という測定質、線量は、これ共有できる、万人が共有できるものなので、それを共有し、それで壊れた関係、分断された関係をつなぐ道具としてそれを使っていただきたいと思っております。

 

(エンディングテーマが流れ始め、次第に強まる)

深野

 まあ、でも、玄侑さん、(玄侑「はい」)、一時期、御用学者と言われる方が大勢出て、(はい)、えー、何も信用できないという、まあ今でもそれが続いている部分がありますけれども、やっぱりこれから先もう一度、きちっと科学に目を向ける、話を聞くって言うことが必要なんですかね。

 

玄侑

 そうですね、そのためには、ラジオ福島はじめ、マスコミもですね、もう一回やっぱり科学者の声を取り上げてほしいと思いますね。

 

深野

 そう意味ではこの番組も、年一回、きちっと続けていかなくちゃいけないと感じました。玄侑宗久さんと、丹羽太貫さんでした。どうもありがとうございました。

 

玄侑 丹羽 

 どうもありがとうございました。

 

(エンディングテーマが次第に弱まる)

 

以上

ラジオ福島 「玄侑宗久・丹羽太貫 放射線を語る」(14/03/29)書き起こし概略


 2014.03.29  ラジオ福島玄侑宗久・丹羽太貫、放射線を語る」 書き起こし概略

 

 

 

(深野アナ)

 皆さんご機嫌いかがでしょうか深野健司です。東日本大震災から三年余りがたちました。来月一日に田村市都路(みやこじ)地区の避難指示が解除されますが、いぜんとして復興のスピードが遅いというふうに感じていらっしゃる人も多いと思います。その復興の足かせになっているのがこの放射線だと思います。

 

福島県内にとどまることを選んだ県民にとって、心の奥底には常に放射線への不安を抱えていらっしゃることでしょう。ここからの一時間は「玄侑宗久・丹羽太貫、放射線を語る」、福島県民が心の奥底に抱える放射線の影響について真剣に真正面から一時間お話を進めてまいります。それではお二方をご紹介いたします。

 

まずは玄侑宗久さんです。よろしくお願いいたします。(よろしくお願いします)。2001年「中陰の花」で芥川賞を受賞されまして、今年三月、先日です、「光の山」で芸術選奨文部大臣賞を受賞されました。そして震災直後に民主党、管政権時代復興構想会議の委員も務められました。そして丹羽太貫さんです、よろしくお願いします。(よろしくおねがいします)。放射線生物学がご専門でいらっしゃいまして、京都大学名誉教授、そして福島県立医科大学特命教授でいらっしゃいます。現在、国際放射線防護委員会ICRPの委員を務めていらっしゃいます。

 

まずはあの玄侑さんが実は丹羽さんとお話をしてみたいという事を私に話してくださったんですが(はい)、まずなぜ丹羽さんとお話をしようと思われたのですか。

 

 

(玄侑氏)

 あの、震災直後にですね、人づてに、あの、こうしてはいられないといって、福島県に移り住んでこられた変わった学者さんがいるという話を聴きまして、あのまあ、お目にかかりたいと思って、以前にお目にかかったんですけれども、まあ大変該博な幅広い方で、何ものかまだよくわからないんですけれど・・・(笑い)。

 京都にお住まいがありながら、福島に移り住んでこられたというそのお気持ちとですね、移り住んで三年近いわけですけれども、その現況を、あのうかがいたいなと思って、今日はこういう組み合わせで話したい、と思いました。

 

 

深野アナ)

 (はい)という事は、丹羽先生は、それをうけて、なぜ福島で生活をする決断されたのでしょうか。

 

(丹羽氏)

 あの、まず、情報としては2012年の九月にわたし福島医大に赴任いたしました。あの、それまで何をやっていたかと言いますと、東京で小さな、大学を卒業してからですが、東京で小さなベンチャー会社をやっていました。


それで事故が起こって会社の方も忙しかったのですが、あの立場上放射線審議会と言うところの委員をさせられまして、私はこれまでずっと放射線の研究、とくに生物に対する影響それから広島長崎での被爆者の様々なデータ、そういうものに非常に興味を持って勉強もしまた研究もしてきた立場で、放射線審議会で審議はしてきましたが、そもそも福島の現場を知らずして、これ、放射線を語るというのは、どうも問題であるというのは、事故のすぐあとから感じました。ただ、あの、審議会が忙しくまた会社も忙しかったので身動きが取れなかったのですが、2012年になって、どうしてもという事で会社のほうも少し軽減されましたし、会社を辞めまして福島医大の非常勤のポジションで移らせていただいたという事であります。


それであの、やはり自分で思っておりましたように、私自身は放射線の生物影響を、線量があってリスクが出るという、非常に単純なサイエンスのサイドからだけ考えておりましたが、福島にきて、やはり放射線の問題というのは、それ以上に、あの、広がりをもって人々に襲いかかるふうをつぶさに拝見させていただいております。それは私自身が福島市内にいて、それからときどき郡部に出かけて行ったりする程度なので、十分ではありませんが、それでも東京にいるよりは、よほど様々な情報を得ることができたと思っております。それで私自身なぜという事に関しましては、やはりこれはあの、研究者として放射線をやっていた、それで今も国際放射線防護委員会の委員をやっておる、そういう中でさらに放射線をきっちり理解したいという思いで動いてきたというふうに申し上げます。


 


(深野アナ)

 まあ、ICRPの委員というのは世界にはそれほど大勢いらっしゃるわけではないですものね。

 

(玄侑氏)

 そうらしいですね。

 

(深野アナ)

 何人ぐらい今いらっしゃるんですか。

 

(丹羽氏)

 えーとね、あの、今のところ主(?)委員会と言うのと、それから第一第二第三第四第五、それから委員会が六つあります。その六つで各々23.4人、4.5人までなので、それほど大きい組織ではない。で、NPOであります、だからみんな手弁当で出かけていますから。本職を持ってるから、どたばたして忙しい方がいっぱいいましてですね、あの、まあそれでも世界一流の放射線に関する学者の方が集まっておるという、そういう組織でございます。


 


(深野アナ)

 はい、まずは甲状腺についての話から今日は進めていこうと思うんですけども、玄侑さん、あの、専門家の意見がことごとく、こう信用されなくなった現在と言うのがありますけれども、どういうところからこういう状況になっちゃったんでしょうかね。


 


(玄侑氏)

 おそらく、震災直後に専門家の方々が、まあご厚意から入ってこられたり、県民に語りかけることで不安を取り除こうとされたんだと思いますけども、あの、あの当時の福島県民というのは、あの、もしかすると爆発するんじゃないかという恐怖におびえていたわけですよね。(そうです)。チェルノブイリと同じようなことになるんじゃないかと。と言う中で、あの、これくらいの線量はどういう、あの、その、大丈夫ですよと、そういう話をされた。で、笑っていればなおストレスがなくていいでしょうみたいな話はですね、到底あの当時の福島県には受け入れられなかったですよね。それが非常にこう感情的なバッシングにまで高まっていって、いわゆる放射線の専門家たち、生物学、防護学、影響学全部にわたってですね、あの、インターネット上では御用学者と言うリストが作られて、で、もうじゃあ誰に話を聞けばいいのか、と言う状況になってしまったというのが非常に不幸なことだったと思うのですが。で、マスコミもそれにあの、まあ、相和してですね、要するにこう危険と言ったほうが聞いてくれる、読んでくれる、見てくれる、要するに売れ筋の情報の方向に傾いていってしまったという事があると思うんですね。で、やっぱり、この混乱した現状をもう一回整えていただけるのはやっぱり専門家だと思うんですよ。あのー安心と安全と言うのは、この国では何故か二つ重ねて言いますけども、安心と言う心情的なものは統御しきれないですけども、安全だと言うのはやっぱり学問的な基準があるべきで、それについてやっぱりきっちりもう一回専門家の方に伺いたいと。そういうことで丹羽先生に伺いたいなあと思いました。


 


(深野アナ)

 そういう意味で言いますと、この甲状腺については今福島で検査が進められている中で、子供でがんが見つかったという報道もされております。これについては皆さん不安を抱えている方も多いと思うのですけれども、ちょっとそこにまずメッセージを投げかけていただきたいと思うのです。丹羽先生から。


 


(丹羽氏)

 はい。

 あの甲状腺癌と言うのは、チェルノブイリの時に大体事故後四年ぐらいで非常に小さい子供さんにそれが見られた。これは小さい子供さんに甲状腺がんが出るというのは非常にまれなことなので、これは大変という事になって世界が震撼としたという事があります。実際これは放射線ヨードが原因であったという事が確定されたケースであります。で、あの、まあ世間で言われる百万人に一人という甲状腺がん、それに対して福島はずいぶん多いんじゃないの、だからこれは放射線ではないですかという話をよく聞きます。あの、それについて申し上げられることは、どうですかね、福島の場合はそもそもその、県民健康調査が始まった理由の一つとして甲状腺がんの調査がありまして、えーっと、非常に早くから調査が始まっています。で、なぜこんな早くから始めたかという事ですけど、日本の甲状腺がんと言うのは実はデータがないんです。どういうデータがないかというと、甲状腺がんと言うのはふつうなんかおかしい、癌ができたらしいといって子供さんを両親が連れてこられるあるいは大人で来る。すでに病気が発症してからの方が病院に来るというシステムでこれまでデータがとられていました。でも最近はその前にきっちり診断する非常に高度な診断技術がありまして、その診断技術の、超音波検査なんですが、その超音波検査もものすごく進歩しましたここのところで、だから非常に小さい一ミリ単位の小さな結節まで分かる時代になってしまいましたので、でそういうような技術で一応今のところの状況を知らなければならいと。で事故前の状況と同じであろうという、事故直後の何年かの検査も含めて調べましょうと言うのが今の状況です。


それで、非常にたくさんの甲状腺がんが見つかってきたというのが、今日にいたって、その数が従来と違うじゃないの、という議論があるのでまた問題が錯綜しております。


ただこれの場合は、あの、全く違う癌というか違うものをふたっつ比較しておる。百万人に一人言うのは今も申し上げたように、実際の癌になってきて病院にきた人がその小児では百万に一人と言うのが普通の状況、それがチェルノブイリで増えたという事なんですが。福島の状況っていうのは、子供さんの健常な方を調べてみると、癌あるいは癌に近いものがけっこうたくさんあるよねと、しかも思春期であるわけで。二つ違うことがあって、まず検査の方法が全く違う、だからそれの問題ともう一つは、実際起こっている集団の年齢が片やゼロ歳から四歳五歳と言う若年の場合と、福島の場合はほとんどが思春期の子供さんです。でこれは全く違うものであると、という事で、これとその百万人に一人をもって福島の評価をするわけにはいかない、というのが研究者の間での一応コンセンサスになっています。


 

(玄侑氏)

 あの、先生。

 思春期にいったん表れて、しこりが表れて、それがいつの間にか消えるというのも、今回の調査で分かってきたという面ではないですか。


 


(丹羽氏)

 そうです、おっしゃる通りです。


 

(玄侑氏)

 あの-、我々人がなくなったときにですね、まあ死因、直接的な死因、いろいろ聞いていくんですけれど、死後解剖をされた場合に、よくあることとして、あ、実はこういう癌を持っていたっていう、でも全然死因に関与してこないんですが、それで非常に多いのが甲状腺がんと前立腺がんなんですね。要するに持っているのに悪さをしないので全く気にしないでいたと。(そうです)で、開いてみたらそうだったという。ですから、思春期のしこりもそうですけれども、発症にまでに至らなくて抱えている人と言うのは実はたくさんいたんだけれども(おっしゃる通り)、それが今回の超音波検査で精密に調べたので、分かってしまったため(そうです)率が上がってしまったわけですけど、でも比較対象のために弘前甲府と長崎ですか、そこで調べてみたのと比較すると、むしろ向こうの方が少し多いんですよね。(そうですね、はいそうです)。甲状腺にまつわるヨウ素の話は、あっという間に放射性ヨウ素っていうのは半減期を迎えてしまって、もう2011年の6月位にはもう測定できないレベルになっているわけですよね。ですからまあ、それ以後にまあそのリスクはないわけですよね。(そうです)でその事をやっぱり、その後も気にする方がいるというのはやっぱりこう情報不足だと思うんですけれども。まあ、リスクと言うのは結局あるのが当たり前で、それを乗り越えていくのが普通のことですよね。


 


(丹羽氏)

 放射線の嫌なことは目にも見えないから検出のしようがないから避けようがないと、だから逃げるしかないという事になりますが、あの、まあ個人線量計を使えは、可視化ができるというのが放射線のポイントなので、放射線防護のサイドから言えば、なるべく自分の放射線の状況は把握していただきたいと思っております。


 


(深野アナ)

 まあその健康影響については放射線の健康影響についてはもう少しお話を進めていただきたいと思っておりますが、甲状腺がんについては、今あの検査が進められていまして、先ほど一ミリ程度ほどの結節を調べることができちゃいました、みたいなこう言う言い方をされましたが、それぐらい技術が発達していまして、今どんどんどんどん、こう甲状腺がんたるものを探している状態が続いているわけですよね。ということは、こう見つけられるっていうことが多くなるわけじゃないですか。(そうです)


 (玄侑氏)

 心配の種が増えてきたですね。

 

(深野アナ)

 そうですねだからそれを調べ続けて、たとえば今度甲状腺癌が、親としては見つかったらとるという選択をする方が当然多いとおもうんですよね。悪さをする可能性が少ないとしても。やっぱり不安ですから。そうするとこんど甲状腺を取るリスクとか、ここを傷つけるリスクという事も当然、反面あるわけですよね。そのあたりのお話をちょっと聞かせていただければと思うんです。

  


(丹羽氏)

 これは私、あの、臨床医ではありませんし、MDでもありませんから、私のようなものが言うのがいいかどうかわかりませんが、私の理解では、昔の手術と違って今の手術は特に甲状腺を全摘するわけではないと、やはり部分切除であり、もう一つはコスメティックサージェリーと言う言葉をお聞きになったかもしれませんが、いわゆるその綺麗にやるための、たとえば私のように年を取ったものが顔をリフトするというような(笑い)、そういう技術が進んできて、傷跡が驚くほど少ないんですね。私の友達で四十台で甲状腺の手術をした方がいますが、全くこのあたりに傷跡がない。もちろんケロイド体質かそうでないとかで違いがあるとは思いますが、甲状腺の御専門の福島医大の鈴木先生になんかにお聞きすると、いや本当にもう綺麗だと、あのー手術の後はまずはあまり気にしなくていいぐらいにようになるんだというふうに言っておらます。そのあたりの技術の進歩は非常に進んだんではないかという事が第一点あり。それから甲状腺を取るってことで、甲状腺ホルモンが足らんとか足るとかいうふうな問題も、これは今のところは全然ない、そういう手術はしないと、いうことで部分切除でちゃんとやるという事なので。とることのリスクと言うのはあまりない、ただまあ、こんなところ来られるのは嫌ですやん、それはあると思いますが。

 

 

(深野アナ)

 それではここで、小さい子供を持つ父親母親のインタビューを取ってありますので、お聞きいただきましょう。

 

女性A(多くの子供たちの遊び声を背景にして。以下同じ状況)


本当は大丈夫なのかなと言う思いはありますけれども、そこらへんがやっぱりちょっと心配なところは、はい、あります。どんな時に?やっぱり外で遊んでたりしてても、常になんかこうー、その放射線の何かそういう物質とかがあるのかなと思うと、常に体内に入ってきてしまっているのかなと言う、それがこう蓄積されていって今後どうなるのかなと言うのはまあ正直なところはありますけれども、それももうしょうがないのかなっていう、はい。

  


女性B

 あのー、建物とかこういう所は、除染も進んでいるけれど、実際にこういう他の上の山とかそういうところは結局除染されないわけだから。結局本当になくなるのかなと言うのは思います。日頃気を付けているものは、もう 最初のころは意識してましたけど、だんだんそれも考えなくなっています。はい。


 

男性A

 やはりあの、今までにない、歴史の中でない、こういう事件ですから、いまこうやって子供を遊ばしていますけど、実際将来本当に親の判断がよかったのか、まあそういうことが本当に、あのー、大きな不安ですよね。ただ あの子供が外で元気に遊ぶというのは大切だと思うんで、そこは、と言いつつも、どんどん外で遊ばせたいと、いうところが本音です。


 

(深野アナ)

 と、今親御さんの、いま インタビューをお聞きいただきましたが、


玄侑さんはどのようにお感じになりました?


 


(玄侑氏)

 あのー、やっぱり放射線を受けるってことが、なんか放射能がたまるみたいな、蓄積することのように感じて不安がっている方が多いんだなっていう事を思いますねー。

 で、今、あの、原発由来の放射能で問題なのは、セシウム137なので、ガンマ線だけですから、体を突き抜けるわけですよね。(はい)細胞の修復力に関する研究が比較的新しいという事があって、ここ十年十五年の間に、あの進歩してきたと思うんですけども、そういう成果を入れてかんがみると、あの、全く蓄積を気にする必要はないと私は思うんですが、丹羽先生どうなんでしょうね。

  


(丹羽氏)

 あのー、それは非常に面白い、私が一番好きな領域なんですが、あのー、修復って問題でDNAの傷を治す機構は当然あります。ところがもう一つあの最近明らかになりつつあるのが、悪い細胞を捨てちゃうと、そういう機構もあります。(はいはい)それで、あの、それも基礎研究はずいぶん進んでいるのですけれど、我々の体の中で分裂増殖してる細胞はもとになるのが幹細胞と言われている細胞でこれは、各々の組織、骨髄とかあるいは腸管とか肺とか、そういうところにいて、肺の細胞を作ったり造血系の細胞を作ったり腸の細胞を作ったり、あるいは皮膚でもそうですけど。元祖のやつっていうのは非常に低酸素のところで守られていてあるだけじゃなくて、そこにいることで幹細胞である、そこから追い出されてしまうと、すぐ分割するという性格を持っています。そうするとここの中でですね、いつも幹細胞がひしめき合っていて、俺がここに、だから、ちょうどあの座布団のゲームがあるじゃないですか、(ハイ 椅子取りゲーム)ああ椅子取りゲーム、あれとおんなじで、あのーだからちょっと椅子に座りが悪い人はすぐに追い出される。そうすると分化しつつ外に放り出される。分化してしまうとあとくされなしと、ということがありますので。細胞レベルで、修復する、悪い細胞を殺す、それからそれでもまだ残っている奴で、椅子の座りの悪いやつは追い出すと、そういう三つぐらいのレベルでいわゆる悪い細胞に対抗しようとしておる。そうするとその追い出すときとか修復するときって、非常にゆっくり放射線を受ける時はこういう機構は働きやすい、急速に受けると確かに働きにくいのですけれど、それが1000ミリシーベルトを一発で浴びるという事じゃなくて、一ミリシーベルトを一年で受けるというような場合には、こういうような機構はよく働くという事が分かり始めております。


(深野アナ)

 うーん、でもそういった中でこう福島の子供たちが、たとえば鼻血が出やすいとか下痢をしやすいとか、こういう噂もあるわけなんですけれど、かたや。どういうところに自分の心のよりどころを持っていけばいいのかって、非常に難しいと思うんですよね。


(丹羽氏)

 はあー、私は、あの、これは皆さんに一生懸命言ってるんですけれど。自分で線量を測ってどれぐらいかを見るのが一番いいんじゃないかと思っています。と言うのは私は常にこれを持ってますから、個人線量計を持ってますけど、(はい)、これで福島で生活していて年間私の予測される線量が、1ミリシーベルトです。福島市内にいて、で、東京に二三日出張があります。で東京で得た線量から逆算して一日二日の線量から一年でいくらとなったら、大体東京は低いので0.5くらいです。でも関西に行って、花崗岩地帯の多いところへ行くとやはり0.8とか9とか下手したら1いきます。その程度であるというふうなまず事実があります。これは事実です。だからそのような自分の線量を把握することで、ご自分のよりどころにする。だから、専門家の言う事を聞かなくてもいいんですよ、別に、ご自分の判断が一番大事だとおもいます。


(深野アナ)

 実は、あの、うちの家族が放射線の不安から完全に解き放たれたのは、家族で関西旅行に行ったときに線量計を持っていったら、うちの嫁がなーんだと言って帰ってきた、っていうので、うちの家族はみんな心配しなくなったんです。(ああそうですか)


(玄侑氏)

 私もあの、一時講演に線量計を持っていきましたけれど(持っていかれましたね、はい)、やっぱりあの私がいた京都の嵐山のあたりは、毎時0.4マイクロシーベルトぐらいありましたし、神戸にいくともうちょっと高いところがあったり、まあそれがもとで、三春町の未生プロジェクトと言うところで全国のお寺さんに線量計を頼んで、年間の線量を測っていただいているんですけど、やっぱり、こう、なーんだですよね。(そうですね)。で、あの、やっぱりその情報としてある程度必要だと思うのは、たとえばあのスペースシャトル山崎直子さんがちょうど2010年の四月ですか、十五日間ディスカバリーに搭乗してですね、宇宙に行ってきましたよね。あの間の被曝量がまあ、一日1ミリシーベルトと言う計算のようですけども、約15ミリシーベルト。これ、宇宙で被曝するのと、あの福島県でまあ同じ量くらい被曝してしまったのとなにか違いますか。

 

(丹羽氏)

 あのー、それは研究事実はいっぱいありまして、スペースシャトルにいろいろな、そのー実験生物をバクテリアから酵母、培養細胞、それからネズミ、メダカ、日本のメダカが乗ってあがったのですけれど、それであげて放射線がどのくらい浴びたかと言うのも評価して調べた実験があります。それで線量と言う面から考えて、線量が同じであれば、それほど生物影響が変わるわけではないと、まあ片や無重力で片や重力があるという違いはあるけれど、生物学的な影響と言うものでは差がないいう風に我々は理解しています。

 

(玄侑氏)

 あの、まあ一日一ミリで十五日間で15ミリシーベルトと言うよりも、一気にある程度高いのを浴びて、短期で浴びたというほうがダメージは多い可能性が高い。

  


(丹羽氏)

 それはそうです。それはもう我々放射線生物の鉄則みたいなものです。

 

(玄侑氏)

 それで、やっぱりあの毎日1ミリシーベルトっていうのは慣れるもんでしょうかね。


(丹羽氏)

 エーとですね、人間に関して、その、色々なこれまでの事故があります、放射線の事故が。それでさまざまな放射線の事故の中で、これは好ましくないね、と言う線量が出ております、これはチェルノブイリの後、その、高い線量で年間線量で何年も生活しているというふうな経験の方々から出てきたんですが、年間線量が数シーベルト、だから数千ミリシーベルトですけど、そのレベルで数年たつと骨髄の細胞がやはり具合が悪くなってさまざまな疾患が起こってくると、だから千ミリシーベルトと言うのは人間である低線量の一つの目安です。この場合のさまざまなことが出てくるというのは癌じゃないです。癌ではなくって、その身体的に弱くなるとかそういう事ですね。癌に関してはさすがにそんな高い線量でなるとあの、線量に応じたリスクの増加があるという領域にも入っておりますので。


 

(玄侑氏)

 一日?

 

(丹羽氏)

 いえ、年間数シーベルトです。年間です。

 だから一日線量でいったら、数ミリシーベルトが長年、二三年続くと、これ良くないと。


玄侑氏)

 CTスキャンが6.9ミリシーベルトとか言いますけど、

 

(丹羽氏)

 はい部位によって違いますけれど。はい。

 

(玄侑氏)

 これを、毎日やっているようなもんですね。

 

丹羽氏)

 そうですね。そうです。

 

(玄侑氏)

 あと、あの子供さんのほうが内部被曝の生体に入ったものの排出率が恐ろしく速いという事も、(はいそうです)意外にお母さんたちがご存じないんじゃないかと思うのですけれども。

 

(丹羽氏)

 はい。ほんとにそれは大人が大体セシウムの生物学的半減期と言うのが、100日から120くらいで半分に減っていく、でその大人でもたとえばカリウムなどをようけい取る人はようけい出ます。

 

(玄侑氏)

 ようけい? ようけいというのは? ああ。

 

(丹羽氏)

 だから、カリウムの摂取量が高い人は、セシウムの出方も早いという事なんです。

 

(玄侑氏)

 あー、果物をようけい食べる人は・・・・(そうです)

 

 

(丹羽氏)

 子供さんのように、あの大人の中でも、体の大きい人は出方が遅い。小さい人は出方が早い。で、子供は両方ですから、小さいし代謝は高いし、というので非常に高いと。

 

(玄侑氏)

 男と女で言いますと。男の方がやっぱり遅いんですかね。


 

(丹羽氏)

 そうでしょうね、体が大きいから。


 

(玄侑氏)

 えーあの私も調べてみましたけど、六歳児で約一か月で半減する。一歳児だと十日で半減しちゃうんですね。だから、子供さんが心配で県外に出てったわけですけれども、実は子供ってものすごく強い存在かもしれない。


 


(丹羽氏)

 うーん。そーですね。あのー。


 


(玄侑氏)

 放射線を直接浴びるという事については確かに弱い面を持っているわけですけど、内部被曝なんかについては、子供の方が圧倒的に強いんじゃないですか。


 


(丹羽氏)

 圧倒的に強いかどうかはわかんないですけれど、そのどれくらいの線量を受けるかと言うことでは子供のほうが受けにくいということは、はっきりしております。

 

(玄侑氏)

 なるほど。

 


(深野アナ)

やっぱりあとは外部被ばくと言う話に、いま移っていると思うんですよね。


 

(丹羽氏)

 そうです。


 (深野アナ)

 特に、お子さんは大人よりも地面に近い位置にいるだから地面にこびりついている(放射能の)影響は子供のほうが受けやすいんじゃないかと話す親御さんもいらっしゃると思うんですけど。

 


(丹羽氏)

 それは、だから、ご自分のお子さんとご自分とで線量計ではかられたら一番いいです。一番安心します。そうすると、その子供のたとえば胸のおなかのあたりの高さふつうは一メートルぐらいで測っておりますが、それも子供さんが低いからということで、下へ下げて測ってみて、それでどれだけの差があるのかと言うことを、ご自分が納得されるのが一番いいと思います。我々が四の五の言うより、その方が実証的でいいんじゃないかなと私はよく思います。

 

(玄侑氏)

 あの、個人的な不安を解消するためにはそれでよろしいと思うんですけれど、問題は、行政が行っている除染ですけれど、先生の専門からすると、年間一ミリ以下まで持っていくという必要性と言うのはどのようにお感じですか。たとえばあれが二ミリでしたらば、予算的な必要と言うのはかなり違うと思うんですが。

 

(丹羽氏)

あの、そのあたりは非常にあの、大事な問題で。ICRPが一ミリと言っているのは一つの理由があります。長期的には一ミリにしてくださいと書いてあるんですね、ICRPは。で、それは実は放射線のリスクから言っているんじゃないんです。これはちょっと不思議に思われるかもわからないんですけれども、そのー、人間社会の中ではICRP放射線によって人々が差別されることを嫌います。エクイティー(equity)と言う言葉でイクォリティー(equality)じゃなくて、イクォリティーというのは、何でもかんでも等分にしなさいという、エクイティーというのはその人に応じて平等にしなさいという考え方なんですが、そうするとその、一ミリの、よそは一ミリじゃなくて、東京なんかはまあ低い、で関西は高い。それで例えば差別があると困る。ましてや福島の場合その線量が高くなっているという事で、実際差別が、これは対象になっております。残念なことに。そうすると、人々が生きていくうえでそういう不平等があっては困りますねと、そうすると最終的に1くらいまで落とすというのは考えて下さいよ、と。これはエクイティーの問題であってリスクの問題ではありませんと。それはそういうふうには書いてありませんけれど、我々はそういう理解であります。ああいうことを理解しております。

 


(玄侑氏)

ただあの年間一ミリという数値が導かれてきたことについての私の認識はですね、あの発がん率が上がるのが、はっきり分かるのは年間百ミリであると。でそれを一生の間に浴びなきゃいいんだという事で、一生を百年として百で割ってみたら1だ、1になった、というそういう計算式であったと。


 (丹羽氏)

ではないんです。それはそうではなくって、まあそういう計算も出来るんですけれども、あの食品安全委員会なんかはたぶんそうやってつけた。この、あの、もともとはその、急速に1、急速に100、急速に1000を浴びた時の、一挙にぱっと浴びた時のリスク計算から始めました。

 

(玄侑氏)

ええ。その。蓄積しないというのが、今の放射線の専門家たちの常識ですよね。でもそうじゃなかった当時、あの、蓄積線量をというのをどうしても、その、時間で割るという考えかたで、出てきたんだという話を聞いたんですけど。

 

 (丹羽氏)

 あの、蓄積線量っていうのはあの放射線防護のための、これは専門家的になりすぎるんで、あまり議論しても仕方のないことかもしれませんけど、あの、蓄積線量というのはそういう線量を避けましょうと、どれぐらい蓄積、トータルが一年間でどれくらいになるかそれは避けましょうと、いうための目安として蓄積線量というのを使っております。それであの一年間で100だから、毎年100浴びてもいいんだとICRPは言っていないです、実は。でこれは、緊急時の一つの措置で、年間百ミリになるような線量率の場は避けなさいと、だからそれで年間100ミリであれば、一か月で等分でたとえば10ミリなんですかとかですね、そういういうふうな線量の場はやはり好ましくないと、で、そういうことで浴び続けよという事はさっぱり言っていなくて、緊急人の時の措置というのは百ミリまで行ったならば、やっぱり数日せいぜい一週間単位の緊急時措置でそれを解消しなければならないと。現存時というのは まあ今の状態ですけど、生き続ける、そこの中で生き続けるのであれば、1から20くらいの間の中で何とかこなしましょうと、でなるべく早く速やかに下げましょうねという概念なんですね。

 

(玄侑氏)

 まあ、防護上は蓄積するものとして考えると非常に有効であるという事ですよね。

 

(丹羽氏)

 そうです、そういう事です。

 

(深野アナ)

 まあ、今の話の中に出てきたその1から20という数字がありました。あの、おそらく福島県民もいろいろと放射線の勉強をみなさんされて、1ミリシーベルト年間というのをちょっとでも超えたらだめだというもんではないっていう事は、わかってきたと思うんですね。あの、コンビニ弁当の消費期限みたいなもんで、ちょっとぐらい経っても大丈夫だっていうのわは分かってきたと思うんですが、じゃあ1から20のあいだのどのへんなの、実際問題、っていうというところが分からないからこう、常に不安を抱えている部分でもあると思うんで、ちょっとこの後お父さんお母さんのインタビューをお聞きいただいて、その話に行きたいと思います。


 


女性C

あの、原発事故の前の基準よりは今の方が基準自体が高いんですよね。で、大丈夫って言われていますけれど、それが震災前だったら大丈夫じゃない数値なんで、本当にそれが今後大丈夫なのか、目に目ないし、それがどう影響してくるかというのかわからないので、そういう不安はありますけど。まあ、ガラスバッチとか当初はやってましたけど、それをつけることで子供が不安がってしまって、かえってもうそれを外させた方が伸び伸びとストレスかけないで育てられるのかなと思って、今はあまり気にさせないようにしてます。

 


女性D

うーん、私はそんなにみなさんほど気にはしていないです。どうかな、全く気になんないって言ったらうそになりますけど、やっぱりここで暮らしていくうえでは、気にしたら、ねえ、きりがないっていうか、というのが正直なところかなあ。ねえ、マスクもしなくなったし。でもやっぱりそういう、なんかどぶとかそうゆう道路とかさわったら、手洗いうがいはしっかりさせるようにとか、そういう程度になっちゃいましたねー。

 

男性B

あんまり気にし過ぎちゃうとやっぱり子供も気にし過ぎちゃうと思うんで、実際高いという場所には連れて行かない様にはしてますけど、それもあんまり気にしすぎちゃっても、子供も自由に遊べないで、そこは放射線が高いから行かないでとか言い過ぎるとやっぱり、子供も気になっちゃうかなあと思うんで、、、、



(深野アナ)

 という事で、その、子供さんが不安を抱えることに対するリスクをきちっと親御さんが理解しているらっしゃる方が、今回、たまたまなのかもしれませんけど多くて、今丹羽先生はうなずいていてらっしゃっていましたけれども、どうお感じになられたでしょうか。


 

(丹羽氏)

 あの、それは本当に大事で、あの、子供さんがのびのび育つという事がまず第一点。それともう一つは、それと、子供さんに全部やる必要はないのですが、あの、親御さんがご心配であれば、やはり、あの、どれほど心配しなければならないかだけは、あの理解いただきたい。すなわちやはり、ご自分の線量と子供さんのいる環境での線量がどのくらいかは常時やる必要はない、かもしれませんが把握してほしいなあと。というのは、あの、これを把握することは様々な意味で、あの、これからの役に立つ。なぜかっと言いますと。福島というのは特殊な目で見られる、私それ非常に嫌なんです。まあ、それがためにこっち側に、押しかけ女房(みなの笑い)になってきたもんで、あの、そうするとその、実際に測ってみると、個人で測ってみると、さきほどもおっしゃいましたように、関西と下手したらようけい変わらんよねっという事になってしまいます。で、そうするとなんでそんなことで君たち差別するんだよ、おかしいんでないのと、こういう風にちゃんと言えます。やはり我々も、その、自分たちの状況を把握して、あなたがたね、そんなこといえる立場かよと、という風に言えるまで、私はやっておく必要があるんではないかなと、私はまあ、外の人間ですから、逆に偉そうに言うなと、なに言ってんだと、てめえ測ったかよと、俺測ったんだと、それで、こうだよと、だからあんたは、偉そうに言えないよねと、こういう議論もします。

 


(深野アナ)

うーん。全国のデータがないから、議論ができないということも、福島県民にとっては、このおかしいところでもあるんですね。

 

(玄侑氏)

だと思いますね。それでやっぱりあの、全国のお寺さんに頼んでって言うのもやりましたけど、(えーえ、)(深野声)あのー、2002年にですね、長瀬ランダウアという(アー、ハイハイ)(丹羽声)、線量計の会社が、全国149000か所で線量を測ったデータがあるんですね。で、それを見ると非常に面白いんですけれども、年間1ミリシーベルトを越している県が11県あるんですけども。そのデータが面白いっていうのは、まあその北陸から西に11県が固まっているという事もありますけれども、20年前のデータと比べた時に違ってきているんですね、(ほー)(丹羽)、(ほー)(深野)、で、その何が違っているかというと、一位の県も違ってきています、14万9千ていうことは一県当たりの測定箇所もかなり多いですから、ある程度信用できると思うのですけれども。トップがもともとウラン鉱床のある岐阜県だったのが、それを抜いてですね、ええ、まあ富山県が一位になってきたのが2002年、(ほー)(深野)、で、あのー、福島県は今どんどんどんどんこう自然の力のおかげで下がってきていますけども、今現在じわじわと上がってきているところもある、という所がむしろこう、今後大きな問題じゃないかという気がするんですけれども。


(丹羽氏)

アーなるほど、私自身は、あの実はこの線量計はですね、全国の高校生さんに持っていただいて、それでまあ全国たって千人も一万人も無理なんですけれど、それと同時に同じ線量計を、世界の高校生さんに持ってもらって、それではかって、それで全部まとめて、世界でどういう状況であるかと、でそんなようなデータをやはり福島県の方々が共有し、国内の方々が共有する、と。世界の人も共有すると、そうゆうふうな事が、私としては、まあ、外から来た人人間で唯一出来るぐらいのことかなあ、なんておもってやってはおりますが、あの、やろうとしておりますが、とにかく自分の状況を把握してくださるというのは、内部被ばくにしろ、外部被曝にしろやはり非常に大切ではないかと思っております。はい。

 


(玄侑氏)

まあ、そのことは非常に大切なことだとは思っているのですけれど、なにせ、結果が出るのに時間がかかりますので、(そうです)(丹羽)、とりあえずあの、西暦2000年に国連の科学委員会が発表したものですけども、まあ、いろんな国のですね、年間1.5ミリ未満のところに住んでいる人口と1.5ミリから3ミリまでの間に住んでいる人口と、それ以上のところに住んでいる人口というのを、人口で表したものがあるんですけれど、これですと日本国内の場合、1.5ミリ未満のところが48%なんですね。1.5ミリを超える方が52%と多いわけですよ。私はこの事実だけで、いいかげん安心したらどうかと思うんですけどね。


(深野アナ)

うーん、いま話が出てきた1から20、100まである中で、まあこれから先、帰還に向けては1ミリではなくて、じゃあ2ミリではどうなんだ、5ミリはどうなんだ。10ミリはどうなんだ。ここでこれから葛藤が、おそらく今避難されている方のあいだで出てくると思うんですけど、そこについてはどう評価してどう提示すればいいんでしょうかね。

  

(丹羽氏)

これはICRPが使っている、ゾーンの、直線しきい値なし仮説、これにあの、一つは放射線のリスクは準拠して考えたらいいと、だから、癌の今の我々が33人に一人が死ぬ状況が、なんと30%ががんで亡くなる状況が、いくら増えるというのはどっかへ、ここへしまっておいたらいい、ただ、一番大事なのは、それが1ミリが2ミリであれ、2ミリが3ミリであれ、実際個人線量でこれはまず評価するべきであり、(はい)、というのは生活者っていうのは全部違いますから。それでそれをベースにして自分の物差しをお持ちになったらいいのではないかと、私自身は思っています。それで、さらに大事なのは、私は福島に来て、この県がやはり非常に美しい県である、で、それの中で、ずいぶんこう十何代とかここに住み続けている、おられる方なんかが結構いてですね、あ、すげーとこなんだと、私はサラリーマンの息子ですから、あっちいったりこっちいったりの生活で、あの、思いましたし。また、あの文化的にはたぶん西日本とは違って、縄文の系譜を非常に色濃く持っておる土地柄のように思います。で、そのような中で住むってことの価値、それを大事と思う方はそれを取ればいい、でもそれでも私は放射線が嫌だという方は、ここで住まない選択をなさったらいい。でこれは一律何ミリシーベルトがいいとかいう問題ではないと思っています。それで高ければ自助努力で、あるいは行政によって一生懸命下げたらよい。で、だからそこら辺の線引きをどこでやるかというのは、下手をすると非常に不毛な議論になります。(うーん)で、そう議論にすればするほど、生活リスク、ここ目の前に迫っている生活リスク、自分の大事な美しい故郷とかですね、そういうプライドに、尊厳に準拠するところを壊して、その一ミリ二ミリの議論をするというのは私は違和感がございます。

 

(深野アナ)

でも玄侑さん、私たちはどうしてもこうどっかにこう、値を求めたくなって、例えば今3にしたとして2.93.1が全く別物に見えるわけですよね。


(玄侑氏)

 そうです。

(深野アナ)

これは危険なことだから、あえてここだって言わない方がいいという事なんですけれども。

 

(玄侑氏)

あのー、先生のおっしゃる通り、やっぱり人は放射線で生きているわけではないですから、まあ、なんていうんですかね、同じ線量でも自分の抱えている物語、生きているベースによっては全く気にならない人たちもいるわけですよね、それどころじゃないというケースもあるわけだし。あのまあ、そこを加味しないと分からないことではあるんですけども。でも国は一律の基準を出すべきかどうかは、いまとなると言えないと思いますが、ある機関として、まあICRPになるのか何処になるのかわかりませんが、あのー、怖がったら全部支援するというような、安心と安全を、こうごたごたにしちゃったというような状況というのは、やっぱりその一つの学問の世界から警告を発してほしいという気がするんですね、そんなに怖がることはないんだよという、この数値は。

 

(丹羽氏)

えーと、それに関しては今の学問で皆さんが、私の言葉でじゃなくて、こういうリスクケースがあります、千ミリシーベルトあたりいくらいくらの癌の増加と。そのリスクケースで今ご自分が受けている、これまで受けてきた、事故の前まで受けてきた、たぶん年間0.5だと思います。それに医療の線量とかとかそんなのが重なって普通の人間、宇宙線とかそんなのが重なって、2とかいう線量になってる訳ですけど。それと比較して、いまのところ、外から受けるγ―線の線、今ですよね、が、0.5増えてるんですね。ここで私が1という事は、福島のもともとが、0.5だったとしたら、あと0.5の加算があったっていうこと。で、そういうことに関して実際計算なさったらいいです。で、これで一生積み重なって、そうすると、普通の日本人ならば2ぐらいで70年80年って、150ミリです、受けます、生涯で、まあ、いやな集積線量ですけれど。で、線量を過剰、過大に評価している国連科学委員会は初年度線量4ミリですと言っています。あの、福島でのね。で、初年度線量の大体2.5倍が大体の生涯線量になるんです。(ほー)。ずーと、ざーと落ちていきますから。で、そうすると、4ミリに2.5倍を掛けたら10ミリシーベルトです。10ミリシーベルトが福島の人の追加線量ですと。100ミリシーベルトに、いや150に10がくっつくという事になります。160になります。(はい)。それがすごくおっきい差かどうかというのは、それはその方の判断です。我々が、結局それは大したことはないでしょと言っても、こわいものは怖い。これは私、こちらへきてもう、身をもって体験しましたから。


(玄侑氏)

 ただその放射線量を受けた時に受けた時に生ずるリスクというのは、おもには放射線を浴びることで生体の中の水分が活性酸素を生み出して、その活性酸素がこう細胞に悪さするという面があると思うんですけど。体内の活性酸素を発生させてるメインの原因は呼吸ですよね。(丹羽氏)ミトコンドリアです。

 要するに、その、なんていうんですかね、私ら、この、吸った息を吐ききらないうちにまた吸っているわけですよね。どんどんどんどん、だって、我々お経をあげるときの息の長さっていうのは、通常の呼吸の二倍三倍はいきますから、それだけほんとは吐けるんですね。吐けるはずなのに、まだあるのに吸い続けてますから、あのー、活性酸素をどんどん生み出しているわけで。私は、放射線気にするよりも自分の呼吸気にした方がいいよっていう話を(笑い)、してるんですけどね。

 

(丹羽氏)

あのー、呼吸に関しては、まあ、言ったら、また話がどんどん広くなるんで、ほんとにあの、呼吸とかそういうような気とか大事で、私も若いころ剣道をやっておりましたので、(はー)私の、あの、剣道のお師匠さんは、70ぐらいで当時剣道九段の方でしたが(ほー)、それがやはり呼吸のことはよく言っておられました。はい。


(深野アナ)

 まあ、そのリスクの話は、今呼吸の話も出てきましたけれども、それからインタビューでもお聞きいただいた、その、不安を抱えるという事に対する精神的リスク(はい)、これもいろいろありまして、まあ、そろそろまとめていかなくちゃと思っておるところなんですが、その、なんていうのかな、いま福島県民は、こう、放射線がやっぱりベースにあって(はい、そうです)、それでその、まあ怖いと思われたりとか、でどうしようかと思ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、やっぱりでも、それとは別次元で、失われたものがものすごくたくさんあって、


(丹羽氏)

 そうです、ものすごくたくさんあります。大変なものです。それはもう、それが切ないですね、思うだに。だからあの、それが一番、私にとっては大きな問題で、あの、福島で起こっていることはもちろん放射線がもたらしたことではあるんですけど、この大変な社会状況はなぜなんだと、それが私の一番基本です。で、それを理解しないと、あの、これはよくないと、いう事で、ここで一生懸命理解に努めております。それで、やはり怖いものは怖いと言ったら、やっぱり怖い。でも、いま言ったように初年度線量4ミリ、初年度線量4ミリ浴びている人はそういないです福島の中でも。それでどんどん低下してくことから逆算して、生涯線量がこうなりますというのが10ミリです。初年度線量の2.5倍、これ鉄則です。チェルノブイリでもそうでした。だからチェルノブイリでは初年度線量は10いくつぐらいだったですね。それでそれの2.5倍で、35ミリ、あそこの集団の、チェルノブイリ周辺の集団が、35ミリという数値が出ております。だから、それがまあ一応世界のスタンダードです。サイエンティストとしていえるのはそうで、そうすると追加線量としてそれが、我々が普通の生活をしていく中で受ける線量と、比較してどうなんだと、生涯に(はい)。そういうに考えていただいた一つのこれは目安になると思います。いまの線量だけにとらわれるんじゃなくって、(うーん)。そういうような意味で集積線量というのはこういう使い方ができる。

 

(玄侑氏)

まあ、人生において、この、放射線の問題がこんなに大きくなってしまうっていうこと自体が不幸だと思うんですけど(えーえ)、やっぱり、こう、人生を支えている事っていうのは、どこで何をして暮らすのかっていう事だと思うんですけど、それが、その、さっき先生もおっしゃったように、代々この土地でやってきたっていう人たちが多い福島県で、その土地を離れて、で仕事もなくなって仮設にいるっている人たちは、ほんとに人生のベースを失ったわけですよね。(おっしゃる通りです)やっぱり、その放射線の問題よりも、って言ったらへんですけども、そういう問題で彼らはいま苦しんでいるんではない。

 

(丹羽氏)

 本当に、それね、良くないです。(えー)こんなひどいことないです。

 

(玄侑氏)

だからその、結局解決しなきゃなんない問題というのは、みんながどこで何をして生きていくのかっていう、ところが解決されるように、丹羽氏(そうです、そうです、おっしゃる通り)なってほしいですね。

 

(丹羽氏)

 それが、やはり、この事故の一番大きい問題です。(ええ)それをその放射線というもので、いろいろぶれましたので、ますますその状況がひどくなった。(ええ)それが私なんかのサイドとして、一番嫌なことです。

 

(なるほど)

 

(深野アナ)

放射線を自分の目の前、進行方向のど真ん中に置くんではなくて、ちょっと横側において、(じぶんは、何を、今はしなければならないのか、丹羽)、いけないのかというそっちをメインに考えていかなきゃいけない。

 

(丹羽氏)

生活はなんなんだ。で、それで私の人生の価値はなんなんだ。と、それがまずは基本ですから。それで放射線はワンオブゼムです。

 

うーん(玄侑)

 

(深野アナ)

えー、一時間にわたりましてお話を伺ってまいりましたが、ラジオをお聞きの皆さんの、その心の奥底の不安が少しでも解消されればうれしいという風に思います。

 

(丹羽氏)

アー、そうなってくれたら本当にうれしいですけど。

 

(一同)

 はい。

 


 





「クオ・ヴァディス ドミネ」 福島へ帰るということ

私は小学校時代図書委員になることが多かった。

 

図書委員のいいところは、一番早く学級図書を読めることと、自分で借りても返却を気にする事がないことだ。

 

あの頃、子供向けのいろいろな本や雑誌が配布されたと思うが、私はなんといっても「少年少女世界文学全集」が好きだった。
世界の子供たちの生活や歴史を知ることができて、まるで世界旅行をしているような気分になれたからだ。

 


「クオレ(愛の学校)」「母を訪ねて三千里」「十五少年漂流記」などのおなじみのものから、「飛ぶ教室」や「チャペック短編集」など大人の読み物としても名作にあたるものもあった。

 

その中で今でも忘れられないものがある「クオ・ヴァディス」だ。
それは、今までのものと全く違っていた。

 


それはローマ帝国時代の暴君ネロのキリスト教徒への弾圧とその殉教を描いたものだった。

 

皇帝ネロの弾圧のすさまじさ、それに耐える信仰の強さ、そして若者たちの純愛を貫く勇気、そのどれもが私にはまったく未知のものだった。

 

表題の「クオ・ヴァディス ドミネ」は、弾圧に耐えかねて信徒たちとローマから脱出しようとする指導者ペテロが、脱出の途中で偶然再会した主イエスに問いかけた言葉だ。

 


「クオ・ヴァディス ドミネ?」(主よ、どこへ行かれるのですか?)

 

これに対し、イエスはこう答えた。

「そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って、いま一度十字架にかかるであろう」と。

 

この言葉を聞いて、ペテロは光に打たれたようになって我に返り、ローマに引返し信者たちを安心させつつ敢然(かんぜん)とコロッセウムで殉教する(火あぶりになる)。

 

子供だった私に信仰の何たるかが分かるはずはなかったが、(最後には破滅することになった)皇帝ネロが民衆に広がるキリスト教を内心恐れていることは理解できた。そしてまた、指導者ペテロをローマへ引き返させたあの言葉もまた、小学生の私の脳裏に焼き付いたのだった。

 

「クオ・ヴァディス ドミネ」。そしてそれが、聖書に由来するラテン語であることを知るのはずっと後のことだった。

 



福島県に川内(かわうち)村という村がある。
第一原発近郊の村で、一部は警戒区域に含まれるが大部分は避難準備区域に含まれていた。

村というと小さな集落を想像しがちだが、三千人を超える住民がいてちゃんとした行政組織や施設があり、小さいながら学校や医療施設もある立派な地方公共団体と言ってよい。自然に恵まれ、天然記念物のモリアオガエルの生息地があることで有名だった。

 

その川内村が、避難準備区域の解除に伴って今年一月末「帰村宣言」を出した。
村長を先頭に村へ帰ると宣言したのだ。

 

この村長の決断に対して、主として東京のメディア(TVに出演してコメントする有名人)から異論が多く出された。「本当に大丈夫なのだろうか」、「健康に影響があったら誰が責任を取れるのだろうか」、「安全という基準値は信用できない」、等々。

 

しかし、この川内村の村長が、昨年行われた関係者によるチェルノブイリ視察旅行で、唯一参加した原発被災地の首長だったことは紹介されなかったし、チェルノブイリ事故で実際に除染や放射線防護にあたった専門家が福島を訪れ、様々な助言とともに帰村が十分可能な放射能レベルにあると発言していることは、全く紹介されなかった。

 

私はこの村長は、腹を決めたのだと思う。ペテロがローマへ帰ると決めたように。
たとえどんなに非難されようと、自分の村へ帰ると決めたのだと思う。

 

ペテロが、「クオ・ヴァディス ドミネ」(主よ、どこへ行かれるのですか?)、とイエスに問いかけて心を決めたように、この村長も心の中で同じ問いを誰かに問いかけ、そして心を決めたのだ。「私は村に帰る」と。

 

それは、彼の「川内村長より」という村のホームページで自ら紹介しているある中学生の手紙を見ればよく分かる。

 

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私たち福島県人は皆に問いかける。そして、自分自身でも答えなければならない。

 

「クオ・ヴァディス ドミネ?」(主よ、どこへ行かれるのですか?)